ラム・お知らせ

暮らす旅スタッフの京都に関するコラム、
お知らせや京都の催事・イベント情報など随時掲載していきます。

祗園祭Part1

2015.06.03 | コラム

 7月の京都といえば祇園祭。7月1日から31日まで1ヵ月間にわたってさまざまな行事が行われます。

7月10日祗園祭の一環である神輿洗いで、四条河原町の四条大橋で清められた神輿を

八坂神社石段下で待つお迎え提灯行列。

 なかでも、コンチキチンの鉦の音と笛太鼓の祗園囃子が流れるなか、動く美術館ともいわれる山鉾巡行を目指して多くの観光客が訪れます。昨年、大船鉾が復活して、17日の先祭と24日の後祭と、二度の山鉾巡行が行われるようになりました。

 ところで祗園という言葉の由来をご存知でしょうか。実は平家物語冒頭の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と深いつながりがあります。祗園精舎とは、お釈迦さまのために建てられたインドのお寺で、中国では祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)とされ、日本には略して祇園精舎と伝えられたのです。祗園精舎の守護神はインドの神様である牛頭天王でした。

 祗園祭が八坂神社の祭りであることはよく知られていると思いますが、明治初めに神仏分離令がでるまで、八坂神社は祗園社と呼ばれ、祗園祭も祗園御霊会と呼ばれていました。

 祗園御霊会の起源は平安京に蔓延した疫病を祓うための御霊会(ごりょうえ)です。当時はこの災いを、政治的な争いのなかで非業な最期を遂げた人たちの怨恨の祟りだと考えました。その御霊を祓うために人々が始めたのが御霊会です。怨霊の暗い影を祓うには、明るい光と、歌舞の狂騒が必要だったのです。

 863年には、初めて勅令による御霊会が神泉苑で開かれました。この日は庶民も見物を許され、歌舞音曲を楽しんだと伝えられます。八坂神社の縁起によると869年に疫病が流行し、祗園社から神泉苑へ日本66ヵ国の数にちなんで66本の鉾を立て、牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったといわれます。ただ876年に、藤原基常が牛頭天王を祭神とする祗園社を現在の八坂神社の地に創建したという説もあり、史実は明快ではありません。ただ当時は疫病が流行した年に御霊会が開かれましたが、祗園御霊会として毎年開かれるようになったのは平安時代後期と言われます。

 その後室町時代には祗園祭で、豊かになった町衆が山鉾巡行を始め、疫病祓いを自ら行うようになります。つまり祗園祭は、祗園社を受け継ぐ八坂神社が主宰する祭りと、町衆が行う山鉾の祭りの両方が統合されたものなのです。いまも八坂神社の三基の神輿が、山鉾巡行の日に市中を練り歩きます。そのなかの中御座には八坂神社の主祭神であるスサノオノミコトが祀られています。明治以前、神仏習合の時代には、牛頭天王とスサノオノミコトは同神とされていたのです。(続く)

祗園祭は「水の都 京都」で紹介しています。