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川口美術のこと

2017.03.28 |

 茶会といえば、未経験の人には「作法やしきたりがあって敷居が高そう」。経験のある人でも「足がしびれて窮屈なだけ」とそんな話を耳にします。自分も別世界と思ってきました。

 ところが陶々舎の茶会レポートで報告したように、流儀や決まりごとを知らない客でも、茶会に参加できて面白いことを、陶々舎は教えてくれました。その発見をひとりでも多くの方に知って欲しくて、出版したのが『京都はお茶でできている』でした。

 

 陶々舎を知ったのは、『京都食手帖』と『京都手仕事帖』の取材中のこと。ひきあわせてくれたのは川口美術の川口慈郎さん。京都下鴨神社近くの自宅で朝鮮骨董の店を開き、来年25周年を迎えます。

 川口さんに「食手帖ならオススメしたい店がある」と、鞍馬口通りに近い店「万年青」へ連れて行ってくれたのが3年前の7月半ば。カウンターに座ると「会わせたい人がいるのでお呼びしました」と川口さん。遅れて現れたのが陶々舎の中山福太朗さんでした。

 若い三人がお茶をするために一つの家に暮らしていると聞いて、串揚げを堪能したのち、陶々舎でお茶をいただくことに。大徳寺孤篷庵へ向かう石畳の坂道をのぼり、右手の和風住宅が陶々舎です。

 格子戸を開け放った縁側で、ロウソクの灯りの下、福太朗さんが抹茶を点ててくれました。なぜだか不思議と蚊がいなかったことが記憶にあります。実はその後、いくつもの偶然が重なって、一冊の本につながるのですが、その話はまたあらためて。

 今回はさまざまな人やお店をつないでくれる川口さんのことを書きます。

 川口慈郎さんと知り合ったのは「京都に骨董を買いに行く」という雑誌特集の取材。川口さんがホテル勤めをやめ、店をオープンして数年後のことでした。バンダジ(朝鮮箪笥)には野の花を挿した新羅や高麗の土器が置かれ、そのたたずまいは今も変わりません。


 

 六甲のホテルに始まり、倉敷や京都のホテルでキャリアを重ね、永らくホテルマンとして活躍された川口さん。とくに大原美術館に隣接する倉敷国際ホテルでは民芸とも出会い、大きな経験に。また京都三条のホテル時代には、近くの骨董店に通い、「初めて骨董に惚けました」と話してくれました。 

 独立を目指し川口さんが選んだ骨董の道ですが、全くの素人からの出発。朝鮮骨董を扱うきっかけは古い土器との出会いがありました。奥様が生花をされていて、土器に花を生けると長持ちする。朝鮮の器といえば、李朝白磁が有名ですが値段が高い。ところが土器は遺跡の出土品で考古学的な価値はあっても価格は割安。また土器を並べる台として仕入れたバンダジも人気を呼びました。

 高台寺傘亭の撮影で川口夫妻に花生けをお願いしたこともありました。その後も、大文字の送り火を胡弓の演奏と共に店の2階から眺めたり、葵祭の行列を店先に設けた観覧席で楽しんだりと、お付き合いを重ねました。

2階のギャラリースペースでは、陶芸など作家の展覧会を川口さんは企画。注目を集めた陶芸家も多く生まれました。さらには毎年数回買い付けに訪れる韓国の旅から、白磁の故郷、青松(チョンソン)郡との友好関係を結ぶまでになりました。

 


5周年を記念して青松で開催された日韓交流白瓷展のオープニングセレモニー


 

茶会が開かれた望美亭は河を一望する地にある百数十年前の伝統的な建築


 その青松で白磁を学ぶ陶芸家の支援もし、昨年5月には川口美術の茶道部長である福太朗さんを連れ韓国へ。友好関係5周年を記念して青松郡守を主客に招き、現地で学んだ江頭龍介さんの白磁を使い、望美亭(マンミジョン)という由緒ある席で、茶会を開いたのです。その様子も含め、今回の本では「川口慈郎と陶人茶人たち」として、陶芸家とお茶数寄の出会いを紹介できました。

 

 川口さんの情熱あふれる行動力は目をみはるばかり。会うたびにいい店を見つけたと教えてくれます。いつか、元田中駅そばにあったウィークエンダーズまでコーヒー豆を買いに自転車で通うと聞きました。早速行くと、広々と気持ちのよいコーヒー店でしたが、その後店を移り、あきらめたこともありました。でも猫町カフェ、雲心月性、木と根、ひらがな館など、暮らす旅舎の本には川口さん推薦の店が多く登場しています。

  来年の25周年には、福太朗さんと山野草の「みたて」さんにお願いして毎月企画展を行うそうです。どんな1年になるかいまから楽しみです。