ラム・お知らせ

暮らす旅スタッフの京都に関するコラム、
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三たびの偶然

2017.04.06 |

 初めて陶々舎を訪れてから数週間。『京都 食手帖』の取材後、愛宕山に登ることになりました。愛宕神社の千日詣りに開かれる夕御饌祭(ゆうみけさい)の撮影をする高嶋さんについて行くことにしたのです。

 高嶋克郞さんは『京のろおじ』以来ずっと、暮らす旅舎のメンバーとして、多くの写真を撮っているカメラマンです。

 

古川町商店街の脇商店でいただいたちらし寿司とお稲荷さん。


 当日午前中は、古川町商店街の取材。お惣菜の脇商店で、愛宕山に登ると話すと押し寿司のお弁当をいただきました。かわりに「火迺要慎」のお札を届けると約束。午後には嵐山の寿司店、大善の取材を終えて、夕方、愛宕山の登山口である清滝バス停そばに車を駐めました。


大善の鮎寿司


 千日詣りとは、7月31日夜から8月1日早朝にかけて参拝すると千日分の防火のご利益があるといわれ、愛宕神社には多くの人が訪れます。とはいえ普通の参詣ではありません。頂上に愛宕神社の社殿がある愛宕山は、京都では最も高く、標高は924m。

 登山の経験はあまりありませんが、なんとかなると登り始めたら、15分もしないうちに後悔の念が。とはいえ、お弁当のお礼もあり、引き返すこともできません。石段と坂道が続く4キロの道をひたすら登って行くのです。下りてくる参拝客に「おくだりやす」と声をかけると、「おのぼりやす」と返してくれます。

先が見えないほどずーっと上り。振り返るとこんな感じです


 三歳までの子供が参拝すると生涯火事には遭わないからと、子供を背負ったお父さんもいれば、だっこしたりなだめたりして登るお母さんもいます。なかには白ひげを伸ばした結構な歳のおじいさんもいて、いわゆる登山とは違う風景があります。しかも眺めが良いわけでもありません。九十九折の道はまだしも、先が見えない一直線の階段を見上げたときには心が折れそうになりました。

 

 3時間以上かけてようやく神社にたどりつくと、手ぬぐいは汗でぐっしょり。持っていたペットボトル2本の水もほぼなくなっていました。参拝後、お札を購入して、お神酒もいただき、お弁当を食べたり、休んだり社殿を見学するうち、本殿には山伏が登場。夕御饌祭の神事、護摩だきを見学してから、山を下りました。

愛宕神社のお札。

 下りはやはり楽です。登山者のなかに、取材で知り合った人を見つけたり、上りとはちがって「おのぼりやす」の掛け声も元気です。登山口に着いたのは真夜中の0時頃。1時間半ほどの道のりでした。

 ビールを飲んで高嶋さんを待っていると、先日陶々舎で挨拶をかわしたキキさんにばったり。スポーツウェア姿で、友だちと登って、下りてきたところだといいます。上り1時間半、下り45分と聞いて、そのアスリートぶりにはびっくり。

 「もうバスがなくなり、車に乗りきれない友だちふたりがいるので、車があれば送って欲しい」とキキさん。やがて高嶋さんも下りてきて、ふたりを大徳寺へ送ることになりました。陶々舎の天江大陸さんと、友人の藤田さんとはこれが初対面でした。

  一日おいて2日の昼に訪れたのが西本願寺そばの旅宿井筒安。『京都手仕事帖』で紹介した庖丁コーディネーター、廣瀬さんの取材でした。

 ご主人の井筒さんに、まずはお茶をどうぞと、白木のカウンター席に案内されます。そこへお茶を持って現れたのが、車で送った藤田さん。小さな茶碗に数滴だけ注がれた煎茶の美味しさも格別でしたが、なにより偶然の連鎖に驚きました。藤田さんは井筒安で働いていたのです。

 藤田さんは陶々舎の近くに住み、一緒に活動することもしばしば。キキさんとふたりで、お茶とお酒の会「おちゃばー」も開催しました。 

おちゃばーを開いたキキさんと、フジコさんこと藤田さん

 8月上旬は「食」と「手仕事」2冊の本の取材と、『水の都 京都』の校了がありました。

 校了を終えほっとひと息ついたお盆休みに出かけたのが、下鴨神社の納涼古本祭り。広い境内の木立の下に並ぶ古書市をぶらぶら。本のデザインに使えそうな古い図版を物色したり、屋台で昼食を食べたりしていたら、三度目の偶然が起きたのです。

 テント脇で夢中で本に目を落とす横顔に見覚えがあり、声をかけるとやっぱりキキさん。なんと彼女、茶筅の本に見入っていました。藤田さんとの出会いを話すと、キキさんも知ってました。京都は狭いと言ってしまえばそれまでですが、2度あることは3度あったのです。

陶々舎 の3人

 茶筅の写真が並んだ古書を立ち読むチリからやってきた若い女性。日本人の男性ふたりと、大徳寺そばの古い日本家屋に住み、お茶三昧の日日を過ごす。——お茶とはほぼ無縁の暮らしだった私に、陶々舎の存在はさまざまな疑問をわき起こしました。

 一連の偶然の出会いから生まれた『京都はお茶でできている』。彼らを惹きつけてやまない「お茶と京都」の魅力を追求したいと思いました。