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コラム・お知らせ

暮らす旅スタッフの京都に関するコラム、
お知らせや京都の催事・イベント情報など随時掲載していきます。

お茶の都 京都

2016.10.31 | お知らせ コラム

茶道は「ちゃどう」と読み、「さどう」は茶頭なのだとか。千利休は秀吉の茶頭でした。

 いまも、利休は小説や映画、漫画などで繰り返し題材となっています。もっとも多くはその死の謎がテーマで、利休の権謀術作の凄さが描かれることが多いようです。茶器や茶室を変革し、わび茶を大成した業績は付け足し程度で、「茶道とは何か」が語られることはほとんどありません。

 利休は「自分が死んだら茶は廃れる」という言葉を残したそうですが、利休が大成した茶道には、いまや数多くの流派があります。とはいえ、茶道の存在は知っていても、私自身もそうですが、内容まで知る人は少ないでしょう。

陶々舎の月釜にて


 暮らす旅舎が2年以上かけて取材し、この秋出版した『京都はお茶でできている』は、企画当初「お茶の都 京都」という仮タイトルで始まりました。取材を通して、茶道のことを少しばかり知ることができましたが、それは専門の本がいくらもあるのでおまかせするしかありません。

とはいえ、岡倉天心の「お茶の本」が芸術論としてとても、興味ふかく、「京都 手仕事帖」でテーマにした生活芸術の都としての京都を、お茶から見てみようとと思ったのです。だから本書は京都のお茶と暮らしがテーマで、けっして茶道の本ではありません。ただ茶道に取り組む人びとが多く登場します。

  本書のなかで、三人の若い茶人が日本家屋で暮らし、陶々舎という名で、お茶を中心とする伝統文化を発信する様を紹介しています。そのひとりが次のように話しました。

「茶室や型や作法という形で、茶の湯を冷凍保存した『流派のお茶』。それゆえに残せたことも重要だが、解凍する役目がこれからお茶をする人の役目では」。

本書では陶々舎の3人のお茶ライフを紹介しています。


「お茶」を解凍し、血を通わせるために、三人はそれぞれお茶の面白さを伝えるためにさまざまな茶会を開いています。鴨川でお茶を点てたり、銭湯と茶会をつなげて室町時代の茶の湯を現代に再現したり、お酒でお茶を抽出して「おちゃばー」を開きます。

 陶々舎の取材中、「何年もお茶を稽古していたけれど、初めてお茶が楽しいと思えた」と話す女性に何人も出会いました。

 おそらく、そうした声は「茶道は禅の修行と同様、単なる趣味や遊興ではない」という言葉に、封じこめられてきたのかもしれません。

  もちろんお茶は茶道ばかりではありません。たとえば祇園や河原町では抹茶アイスを求めて長蛇の列ができます。抹茶パフェも、お茶と和菓子を出す和カフェも人気です。お茶農家も抹茶スイーツに助けられているそうです。

 さらに京都に暮らす人々にとって、日々の暮らしに受け継がれてきた日常のお茶、ほうじ茶や番茶は欠かせません。さらに美味しいお茶漬けの友など、身近なお茶の世界がずっと、あたりまえのものとしてそこにあります。

京はやしやの抹茶パフェ

 本の巻末では陶々舎に、お茶会のお客さんになる指南をしてもらいました。「いま立っている足元こそ伝統」とは陶々舎の茶の湯心得のひとつですが、多彩なお茶の世界がいままさに京都を訪れたみなさんの足元に広がっているのです。

 

 

 

明けまして、おめでとうございます。

2016.01.01 | お知らせ コラム

明けまして、おめでとうございます。

よく晴れた元旦です。

大晦日には、京都から福千鳥のおせちがクール便で届きました。「進化バージョン」は、清々しい白木の箱に15品の料理がそれぞれフレッシュパックで詰められています(黒豆は瓶詰)。保存料を使わず、本来のやさしい味を生かしたいということで、真空パックに。付属の笹の葉や木の仕切りを使えばそのままお重として使えるのですね。今年は、我が家で久しく使っていなかった丸い重箱を使ってみようと、自己流で盛り付けてみました。仕切りの代わりに、京都のセレクトショップNOMAで購入した斉藤幸代さんの豆皿などを使ってちょこちょこ盛り。余白を残してゆったり盛ったので、盛りきれない食材まだまだあります。

今朝は、年末にいただいた、京都北野天満宮の大福梅と結び昆布に白湯をさした福茶で始めてみました。京都でなさるという、年始めの作法をさっそく真似。

元日の過ごし方は、それぞれの地方や家で違うと思いますが、ちょっと背筋を伸ばして、気持ちも新たに、新しい年をよりよく過ごせますように、という気持ちは同じなのではないでしょうか。

暮らす旅舎では、今年、また京都の本を出版する予定です。通えば通うほど見えてくる、京都の魅力をお伝えしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

↑北野天満宮の梅は、白湯をさすとふっくら味が出て、おいしい福茶でした。


↑福千鳥のおせちが届きました。杉の取り箸や縁起物の松の葉も添えられていて、うれしい。

↑美しい白木の箱入り。仕切りを使って盛りつければ、そのままお重として使えます。

↑仕切りの代わりに、手持ちの小さな器や、斉藤幸代さんの豆皿を使ってみました。まだまだ盛りきれていません。

そろそろお正月の準備です。

2015.12.17 | お知らせ コラム

「せやけど、今年はあかんな〜」と、誰もが口を揃えた今年の紅葉は、なんと12月に入ってから、ようやくきれいに色づきました。この秋の「そうだ、京都行こう」にも取り上げられた、北野天満宮の「もみじ苑」も、急遽、秋の特別公開を一週間伸ばしての営業です。

通常、京都の紅葉の見頃は11月中旬から下旬なので、やっぱり今年は、なんやけったいな紅葉だったのです。


↑もみじ苑から見た北野天満宮。


そんな長い紅葉の時期も終わり、街はそろそろ正月準備が始まりました。

12月13日は「事始め」。正月の準備を始める日です。この日の祇園街では、舞妓さんや芸妓さんが鏡餅を持って師匠のところへ挨拶にまわる姿が見られます。

事始めの日を過ぎると、お屠蘇や、元旦にいただく大福茶が売られているのに目がとまります。

北野天満宮でも、毎年事始めから、12月25日の終い天神までの間に「大福梅(おおふくうめ)の授与」が行なわれます。天満宮の梅園で実った梅を、元日の朝にお茶や白湯に入れて飲むと、一年間の邪気を払ってくれるのです。こうしてお正月の準備をひとつひとつ整えて、新しい年に向かいます。(京都駐在Y.S)

↑大福梅。6粒入り。毎年売り切れることも多いので、この時期はお早めに。

↑さすがに学問の神様。この日も本殿は合格を願う高校生たちでいっぱいでした。入試も新年も、もうすぐそこですね。

↑堂々たる本殿の門にも、年迎えの華やかさが添えられます。

祇園祭PART3 こぼれ話

2015.06.25 | コラム

 夏越祓(なごしのはらえ)とは、半年間の穢れを祓い清めて、残り半年の健康と厄除けを祈願する行事です。茅の輪潜りといって、神社の参道に立てられた大きな茅の輪を潜り身を清めます。京都では6月30日に上賀茂神社や北野天満宮をはじめ多くの神社で行われています。この日、白のういろう生地に小豆を乗せ三角形にカットされた和菓子「水無月」を食べると縁起がよいといわれます。

 翌日7月1日は、吉符入(きっぷいり)と呼ばれる祇園祭の始まりの日です。宮本組の面々は八坂神社本殿で、祭行事の無事を祈願しお祓いを受けます。

 山鉾町でも町内の役員が集まり、八坂神社の神職のお祓いを受けて祭期間の無事を祈願します。夜は囃子方も、神棚に手を合わせ、お囃子を奉納して吉符入を行います。なかでも長刀鉾町保存会の会所二階の祭壇前で行われる稚児舞は有名です。また山鉾町の吉符入は1日とは限らず山鉾町によって異なるようで、5日までに行われます。

 

7月10日 神輿洗のお迎え提灯 鷺舞の年長組の子供達


こちらはお迎え提灯、年少組のしゃぐまの子供たち。頭には薩長軍がかぶっていたかつらが。

しゃぐまとは赤熊と書きます。昨年は台風のために中止となったお迎え提灯の行列。今年は見たいですね。

しゃぐまが腰に差しているのは蘇民将来の護符がついたこの榊です。


 そしてひと月祇園祭が続く始わけですが、締めくくりの7月31日に行われるのが境内にある疫神社の夏越祭です。疫神社の御祭神は蘇民将来(そみんしょうらい)。八坂神社の主祭神であるスサノオノミコトが南海に旅をされた時、蘇民将来に手厚くもてなされたことを喜んで、目印に茅の輪をつけた蘇民将来の子孫は疫病より免れると誓約されたそうです。他の神社で行われる夏越祓もこの故事にちなむものです。

 疫神社では鳥居に大茅の輪を設け、参拝者は茅の輪を潜って厄気を祓い、「蘇民将来之子孫也」の護符を授かります。このお祭をもって祇園祭も幕を閉じます。

 

粽にも「蘇民将来之子孫也」の文字が


下鴨神社でも茅の輪を潜る夏越祓神事が行われますが、立秋の前日(夏の終わり)に行われます。今年は8月7日です。ちなみに下鴨神社の夏越神事の由来は八坂神社とは異なります。興味のある方はお調べください。

 同じ夏越祓なのに日時が違うのは、明治初期に旧暦から新暦へと変わったことが原因です。七夕やお盆が地方によって7月と8月に分かれるのと同じと思われますが、同じ京都なのに面白いですね。

 実は祇園祭も新暦7月に行われるようになったのは明治10年以降。その前は旧暦の5月から6月にかけて行われていました。祇園祭とは梅雨明けを迎えて、戻ってきた日の光を祝う祭だともいわれます。旧盆や8月の七夕と同じく、旧暦の時間軸を大切にしているのです。確かに新暦7月7日の夜空ではたいてい雨模様。天の川を眺めるなら旧暦に限ります。

 

Kitはこんなふうに。

2015.06.13 | お知らせ コラム

先日お知らせした雑貨店Kitの引っ越し。

DIY しながら新店舗調え中とのこと。店内の写真が届きました。お店は進化中。そしてイベントは着々仕込み中。チェック怠りなく!!





祗園祭Part2

2015.06.07 | コラム

 祗園祭は八坂神社の神事と、町衆の山鉾を中心とする祭礼とが、7月ひと月間にわたって行われます。神事では、先祭と後祭の山鉾巡行のあとに、神輿が市中をめぐる17日の神幸祭と24日還幸祭が見どころです。それと同様に大切な神事が、10日と28日に行われる神輿洗式なのです。

鴨川の水を汲み上げてお祓いし、神輿洗に使う神用水にする

 この神事を担うのが宮本組という、八坂神社の氏子集団。組員は祗園界隈の人たちで、暑い盛りにも関わらず紋付袴や狩衣、裃姿でお役を務めます。神幸祭と還幸祭では、神社のご神宝を持つことを許された宮本組の面々が神輿の先頭を歩きます。

 10日の神輿洗式では、その朝に紋付袴姿の宮本組の役員と神職が、汲み上げた鴨川の水を清めるなどの神事を行います。夕方になると、神輿三基のうち二基を八坂神社の舞殿に据え、一基(中御座・スサノオミコト)を舁いて、列の前後を松明で照らし、四条大橋をめざします。その先頭に立つのが宮本組です。橋の上では神職が、朝汲んだ神用水で神輿を清める儀式を行ないます。その後、八坂神社に戻ると、17日の神輿渡御にそなえて三基の神輿を飾り付けます。

宮本組勢揃い

昨年は台風の影響で、本来は鴨川の川岸で行う神用水の清祓いを四条通りの仲源寺で行った。

神輿洗に先だって松明で四条通りと大橋を清める。

 神輿洗いの前後には、お迎え提灯といって、神輿を出迎えるための行列が繰り出され、子どもたちが鷺踊や小町踊を披露します。かつては神輿洗にともなう「ねりもの」といって、祗園の茶屋や町人による仮装行列が奉納されました。お迎え提灯の行列はその伝統を受け継ぐものです。ねりものは最盛の19世紀には山鉾巡行に匹敵するほどの人気の催しで、芸妓の錦絵も売り出されました。

松明と神輿(中御座)。これから神輿洗が行われる。

四条大橋の上で行われる神輿洗。


お迎え提灯。

 28日の神輿洗式も同様の手順で、最後に神社に戻ったあと、神輿庫に収められます。31日には茅の輪をくぐる夏越祭があり、ひと月続いた祗園祭も締めくくりとなります。

祗園祭Part1

2015.06.03 | コラム

 7月の京都といえば祇園祭。7月1日から31日まで1ヵ月間にわたってさまざまな行事が行われます。

7月10日祗園祭の一環である神輿洗いで、四条河原町の四条大橋で清められた神輿を

八坂神社石段下で待つお迎え提灯行列。

 なかでも、コンチキチンの鉦の音と笛太鼓の祗園囃子が流れるなか、動く美術館ともいわれる山鉾巡行を目指して多くの観光客が訪れます。昨年、大船鉾が復活して、17日の先祭と24日の後祭と、二度の山鉾巡行が行われるようになりました。

 ところで祗園という言葉の由来をご存知でしょうか。実は平家物語冒頭の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と深いつながりがあります。祗園精舎とは、お釈迦さまのために建てられたインドのお寺で、中国では祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)とされ、日本には略して祇園精舎と伝えられたのです。祗園精舎の守護神はインドの神様である牛頭天王でした。

 祗園祭が八坂神社の祭りであることはよく知られていると思いますが、明治初めに神仏分離令がでるまで、八坂神社は祗園社と呼ばれ、祗園祭も祗園御霊会と呼ばれていました。

 祗園御霊会の起源は平安京に蔓延した疫病を祓うための御霊会(ごりょうえ)です。当時はこの災いを、政治的な争いのなかで非業な最期を遂げた人たちの怨恨の祟りだと考えました。その御霊を祓うために人々が始めたのが御霊会です。怨霊の暗い影を祓うには、明るい光と、歌舞の狂騒が必要だったのです。

 863年には、初めて勅令による御霊会が神泉苑で開かれました。この日は庶民も見物を許され、歌舞音曲を楽しんだと伝えられます。八坂神社の縁起によると869年に疫病が流行し、祗園社から神泉苑へ日本66ヵ国の数にちなんで66本の鉾を立て、牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったといわれます。ただ876年に、藤原基常が牛頭天王を祭神とする祗園社を現在の八坂神社の地に創建したという説もあり、史実は明快ではありません。ただ当時は疫病が流行した年に御霊会が開かれましたが、祗園御霊会として毎年開かれるようになったのは平安時代後期と言われます。

 その後室町時代には祗園祭で、豊かになった町衆が山鉾巡行を始め、疫病祓いを自ら行うようになります。つまり祗園祭は、祗園社を受け継ぐ八坂神社が主宰する祭りと、町衆が行う山鉾の祭りの両方が統合されたものなのです。いまも八坂神社の三基の神輿が、山鉾巡行の日に市中を練り歩きます。そのなかの中御座には八坂神社の主祭神であるスサノオノミコトが祀られています。明治以前、神仏習合の時代には、牛頭天王とスサノオノミコトは同神とされていたのです。(続く)

祗園祭は「水の都 京都」で紹介しています。


  

水の町 伏見

2015.05.26 | コラム

京都の水が生み出したものは美しい景観だけではありません。お酒や味噌、醤油、和菓子など京都の食べ物や、着物の友禅染めや楽焼の器といった美術工芸、さらには祗園祭も水なしでは語れないものです。
今回はまずお酒の話です。月の桂は伏見の酒蔵、増田徳兵衛商店の銘酒です。なかでも、にごり酒はお米のスパークリングといわれ、そのフルーティな香りと爽やかな酸味が魅力。食中酒としても美味しいです。

伏見は桂川、鴨川、宇治川に加え、町の中を運河が流れる水の町。またかつて伏水(ふしみず)と書かれたほど、質の高い伏流水が豊富な土地です。秀吉の時代に伏見城の城下町として発展し酒造りが発展しました。

増田徳兵衛商店が酒造りを始めたのは江戸時代前期。谷崎潤一郎をはじめ多くの文人が月の桂を愛しました。小津安二郎が映画「小早川家の秋」で酒造り一家のモデルにしたのも増田家でした。酒蔵の道具を宝塚のスタジオにすべて運んで撮影したそうです。

当代の増田さんは、京都のお米「祝」を有機栽培で育て、酒造りの原料とする取り組みを行い、毎年地域の子どもや京都の大学生らと,田植えから収穫までを行っています。


珈琲と酒のいい関係

2015.04.25 | コラム

 高校時代、植草甚一に憧れて、学校帰りに神保町の泰文社でポケミスを買い、「きゃんどる」に寄った。山小屋風の店内には珈琲色の木の家具が置かれ、SEIKOSHAの振り子時計が時を刻んでた。

 茶房きゃんどるは昭和8年の創業で、いまはビルの一角で三代目のご主人が営業している。

 神保町には、ほかにも「さぼうる」や「ラドリオ」「ミロンガ」と、クラシックな喫茶店が残り、大手チェーン店に席巻されてしまった東京のなかでは喫茶店の聖地だ。いずれも珈琲にウィスキーをたらして飲むことができる店で、飲み屋の帰りに立ち寄ってもいい。

 かつて職場があった西新橋には、「リリー」という昭和29年創業の酒場があり、昭和24年開業のラドリオとはよく似た雰囲気の店だった。

 父親と同じ歳のマスターがひとりで切り盛りし、年に数回は通っていたが、残念ながら昨年暮れに亡くなられ、店は閉店となった。

 ひとり暮らしで、酒は飲めず、珈琲が好きで、キャベツを丸ごと煮込んで食べていた。

 最近来ないからと友人のボトルを飲ませてくれ、「いいの、いいの」と歯が欠けた笑い顔が浮かんだ。

 

 京都ではいまも個人営業の喫茶店が元気だ。老舗店から若い人の新店までそろい、暮らす旅舎でも何軒か紹介してきた。


 アイリッシュコーヒーといえば、サンクトペテルブルクで飲んだ一杯を思い出す。プーシキンが決闘前に立ち寄った、「リテラトゥールノエ カフェ(文学喫茶)」のそれは、グラスにたっぷりホイップクリームがのっていた。ミロンガのものよりも量も甘さもロシアサイズだ。

 ニューヨークのアル中探偵マット・スカダーが、行きつけのアームストロングの店で珈琲によくたらしていたのはバーボン、メーカーズマーク。実はウィスキーでもブランデーでも、焼酎でもコーヒーとスピリッツの相性はいい。

家では珈琲豆をキンミヤ焼酎に漬け込んで、楽しんでいる。

 「京都 食手帖」で訪れた東山三条のサロン&バー「うえと」は午後2時から11時までずっとバータイム。しかもブレンドがあり、スピリッツもよりどりみどり。酒と珈琲好きにお勧めの店だ。

うえとの上田さん


暮らす旅舎はこうして生まれた

2015.04.05 | コラム

 京都の旅は、早起きがいい。

 昼間は観光客でごったがえす人気寺院もゆったり見学できる。朝7時に店を開けるイノダコーヒならモーニングが食べられる。

大文字の送り火も見える京都御苑

 京友禅の老舗のご主人がすすめてくれたのは早朝の御所さんぽ。京都御苑はいつでも出入りできるので、東山から差す朝日を拝み、白砂の上を歩けば、爽やかな気を全身に浴びて新しい気持ちになる。

昼なら「ろおじ」と呼ばれる細い路地の散策がお勧め。車や人通りの多い通りからちょっと外れただけで、今までの喧噪はどこへやら。ゴミひとつない路地の奥には、長屋の一角で小さな本屋さんや料理店がひっそりと迎えてくれる。水甕には金魚が泳いでいたりして、暮らす人の息づかいが聞こえてくるよう。都市にぽっかり空いた異次元空間を体験するという意味では、パリのパッサージュと同じだ。

食事ならカウンターのある店を探そう。おすすめのメニューを糸口に、食材の話、旬の話、京言葉から町ネタまで。いい気持ちでお勘定したら、もう一度訪ねよう。ガイドブックの店を片っ端から回るよりも、京都旅行のたびに行きたくなる、行きつけの店を一軒でも持てたら、京都はもっと身近になる。

 駆け足で名所を巡るのではなく、寄り道したり迷ったり、地元の人と話を交わせる旅をしよう。

 

京のろおじは暮らしの場

北大路通りにある料理店、伊セ藤

そんな旅の流儀を「暮らす旅」名付けました。

 私たちは、長年にわたり雑誌や書籍で仕事をしてきた編集者、ライター、カメラマン、デザイナーの集まりです。暮らす旅の楽しさを紹介したくて、グループの名を「暮らす旅舎」と名付けました。そんな私たちを、京都に暮らす、伝統のものづくりに関わる老舗のご主人や料理人、家元、アーティストたちが応援してくれています。

 暮らす旅舎として初めて発刊したのが『京のろおじ』です。第二弾の『水の都 京都』とともに、俳優の井浦 新さんが一緒に旅をしてくれました。

『京都 食手帖』と『京都 手仕事帖』は、私たちが京都に通うなかで出会ったり、教えていただいた人たち、お店をご紹介しています。

 これからも、京都の古くて新しい魅力を発掘していきたいと思っています。

 

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