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ラム・お知らせ

暮らす旅スタッフの京都に関するコラム、
お知らせや京都の催事・イベント情報など随時掲載していきます。

Kitはこんなふうに。

2015.06.13 | お知らせ コラム

先日お知らせした雑貨店Kitの引っ越し。

DIY しながら新店舗調え中とのこと。店内の写真が届きました。お店は進化中。そしてイベントは着々仕込み中。チェック怠りなく!!





祗園祭Part2

2015.06.07 | コラム

 祗園祭は八坂神社の神事と、町衆の山鉾を中心とする祭礼とが、7月ひと月間にわたって行われます。神事では、先祭と後祭の山鉾巡行のあとに、神輿が市中をめぐる17日の神幸祭と24日還幸祭が見どころです。それと同様に大切な神事が、10日と28日に行われる神輿洗式なのです。

鴨川の水を汲み上げてお祓いし、神輿洗に使う神用水にする

 この神事を担うのが宮本組という、八坂神社の氏子集団。組員は祗園界隈の人たちで、暑い盛りにも関わらず紋付袴や狩衣、裃姿でお役を務めます。神幸祭と還幸祭では、神社のご神宝を持つことを許された宮本組の面々が神輿の先頭を歩きます。

 10日の神輿洗式では、その朝に紋付袴姿の宮本組の役員と神職が、汲み上げた鴨川の水を清めるなどの神事を行います。夕方になると、神輿三基のうち二基を八坂神社の舞殿に据え、一基(中御座・スサノオミコト)を舁いて、列の前後を松明で照らし、四条大橋をめざします。その先頭に立つのが宮本組です。橋の上では神職が、朝汲んだ神用水で神輿を清める儀式を行ないます。その後、八坂神社に戻ると、17日の神輿渡御にそなえて三基の神輿を飾り付けます。

宮本組勢揃い

昨年は台風の影響で、本来は鴨川の川岸で行う神用水の清祓いを四条通りの仲源寺で行った。

神輿洗に先だって松明で四条通りと大橋を清める。

 神輿洗いの前後には、お迎え提灯といって、神輿を出迎えるための行列が繰り出され、子どもたちが鷺踊や小町踊を披露します。かつては神輿洗にともなう「ねりもの」といって、祗園の茶屋や町人による仮装行列が奉納されました。お迎え提灯の行列はその伝統を受け継ぐものです。ねりものは最盛の19世紀には山鉾巡行に匹敵するほどの人気の催しで、芸妓の錦絵も売り出されました。

松明と神輿(中御座)。これから神輿洗が行われる。

四条大橋の上で行われる神輿洗。


お迎え提灯。

 28日の神輿洗式も同様の手順で、最後に神社に戻ったあと、神輿庫に収められます。31日には茅の輪をくぐる夏越祭があり、ひと月続いた祗園祭も締めくくりとなります。

祗園祭Part1

2015.06.03 | コラム

 7月の京都といえば祇園祭。7月1日から31日まで1ヵ月間にわたってさまざまな行事が行われます。

7月10日祗園祭の一環である神輿洗いで、四条河原町の四条大橋で清められた神輿を

八坂神社石段下で待つお迎え提灯行列。

 なかでも、コンチキチンの鉦の音と笛太鼓の祗園囃子が流れるなか、動く美術館ともいわれる山鉾巡行を目指して多くの観光客が訪れます。昨年、大船鉾が復活して、17日の先祭と24日の後祭と、二度の山鉾巡行が行われるようになりました。

 ところで祗園という言葉の由来をご存知でしょうか。実は平家物語冒頭の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と深いつながりがあります。祗園精舎とは、お釈迦さまのために建てられたインドのお寺で、中国では祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)とされ、日本には略して祇園精舎と伝えられたのです。祗園精舎の守護神はインドの神様である牛頭天王でした。

 祗園祭が八坂神社の祭りであることはよく知られていると思いますが、明治初めに神仏分離令がでるまで、八坂神社は祗園社と呼ばれ、祗園祭も祗園御霊会と呼ばれていました。

 祗園御霊会の起源は平安京に蔓延した疫病を祓うための御霊会(ごりょうえ)です。当時はこの災いを、政治的な争いのなかで非業な最期を遂げた人たちの怨恨の祟りだと考えました。その御霊を祓うために人々が始めたのが御霊会です。怨霊の暗い影を祓うには、明るい光と、歌舞の狂騒が必要だったのです。

 863年には、初めて勅令による御霊会が神泉苑で開かれました。この日は庶民も見物を許され、歌舞音曲を楽しんだと伝えられます。八坂神社の縁起によると869年に疫病が流行し、祗園社から神泉苑へ日本66ヵ国の数にちなんで66本の鉾を立て、牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったといわれます。ただ876年に、藤原基常が牛頭天王を祭神とする祗園社を現在の八坂神社の地に創建したという説もあり、史実は明快ではありません。ただ当時は疫病が流行した年に御霊会が開かれましたが、祗園御霊会として毎年開かれるようになったのは平安時代後期と言われます。

 その後室町時代には祗園祭で、豊かになった町衆が山鉾巡行を始め、疫病祓いを自ら行うようになります。つまり祗園祭は、祗園社を受け継ぐ八坂神社が主宰する祭りと、町衆が行う山鉾の祭りの両方が統合されたものなのです。いまも八坂神社の三基の神輿が、山鉾巡行の日に市中を練り歩きます。そのなかの中御座には八坂神社の主祭神であるスサノオノミコトが祀られています。明治以前、神仏習合の時代には、牛頭天王とスサノオノミコトは同神とされていたのです。(続く)

祗園祭は「水の都 京都」で紹介しています。


  

水の町 伏見

2015.05.26 | コラム

京都の水が生み出したものは美しい景観だけではありません。お酒や味噌、醤油、和菓子など京都の食べ物や、着物の友禅染めや楽焼の器といった美術工芸、さらには祗園祭も水なしでは語れないものです。
今回はまずお酒の話です。月の桂は伏見の酒蔵、増田徳兵衛商店の銘酒です。なかでも、にごり酒はお米のスパークリングといわれ、そのフルーティな香りと爽やかな酸味が魅力。食中酒としても美味しいです。

伏見は桂川、鴨川、宇治川に加え、町の中を運河が流れる水の町。またかつて伏水(ふしみず)と書かれたほど、質の高い伏流水が豊富な土地です。秀吉の時代に伏見城の城下町として発展し酒造りが発展しました。

増田徳兵衛商店が酒造りを始めたのは江戸時代前期。谷崎潤一郎をはじめ多くの文人が月の桂を愛しました。小津安二郎が映画「小早川家の秋」で酒造り一家のモデルにしたのも増田家でした。酒蔵の道具を宝塚のスタジオにすべて運んで撮影したそうです。

当代の増田さんは、京都のお米「祝」を有機栽培で育て、酒造りの原料とする取り組みを行い、毎年地域の子どもや京都の大学生らと,田植えから収穫までを行っています。


珈琲と酒のいい関係

2015.04.25 | コラム

 高校時代、植草甚一に憧れて、学校帰りに神保町の泰文社でポケミスを買い、「きゃんどる」に寄った。山小屋風の店内には珈琲色の木の家具が置かれ、SEIKOSHAの振り子時計が時を刻んでた。

 茶房きゃんどるは昭和8年の創業で、いまはビルの一角で三代目のご主人が営業している。

 神保町には、ほかにも「さぼうる」や「ラドリオ」「ミロンガ」と、クラシックな喫茶店が残り、大手チェーン店に席巻されてしまった東京のなかでは喫茶店の聖地だ。いずれも珈琲にウィスキーをたらして飲むことができる店で、飲み屋の帰りに立ち寄ってもいい。

 かつて職場があった西新橋には、「リリー」という昭和29年創業の酒場があり、昭和24年開業のラドリオとはよく似た雰囲気の店だった。

 父親と同じ歳のマスターがひとりで切り盛りし、年に数回は通っていたが、残念ながら昨年暮れに亡くなられ、店は閉店となった。

 ひとり暮らしで、酒は飲めず、珈琲が好きで、キャベツを丸ごと煮込んで食べていた。

 最近来ないからと友人のボトルを飲ませてくれ、「いいの、いいの」と歯が欠けた笑い顔が浮かんだ。

 

 京都ではいまも個人営業の喫茶店が元気だ。老舗店から若い人の新店までそろい、暮らす旅舎でも何軒か紹介してきた。


 アイリッシュコーヒーといえば、サンクトペテルブルクで飲んだ一杯を思い出す。プーシキンが決闘前に立ち寄った、「リテラトゥールノエ カフェ(文学喫茶)」のそれは、グラスにたっぷりホイップクリームがのっていた。ミロンガのものよりも量も甘さもロシアサイズだ。

 ニューヨークのアル中探偵マット・スカダーが、行きつけのアームストロングの店で珈琲によくたらしていたのはバーボン、メーカーズマーク。実はウィスキーでもブランデーでも、焼酎でもコーヒーとスピリッツの相性はいい。

家では珈琲豆をキンミヤ焼酎に漬け込んで、楽しんでいる。

 「京都 食手帖」で訪れた東山三条のサロン&バー「うえと」は午後2時から11時までずっとバータイム。しかもブレンドがあり、スピリッツもよりどりみどり。酒と珈琲好きにお勧めの店だ。

うえとの上田さん


Kitの場所が変わりましたよ!

2015.04.19 | お知らせ

『水の都 京都』『京都 手仕事帖』でご紹介していた雑貨店Kitが、3月末に引っ越しました。

新しい場所は、河原町通りにある毎日新聞社ビルの一本西(こういう言い方ができるようになったのは、方向音痴の私でも、京都の地図が頭に入ってきた証拠)。

新烏丸通りの角にある一戸建ての白い箱がKitです。

階段昇った2階がメインショップ。 

お店は引っ越した今もコツコツ生まれ変わり中。

新生Kitもみなさまよろしく。

(写真は引っ越し直後のKitの外観です)



暮らす旅舎はこうして生まれた

2015.04.05 | コラム

 京都の旅は、早起きがいい。

 昼間は観光客でごったがえす人気寺院もゆったり見学できる。朝7時に店を開けるイノダコーヒならモーニングが食べられる。

大文字の送り火も見える京都御苑

 京友禅の老舗のご主人がすすめてくれたのは早朝の御所さんぽ。京都御苑はいつでも出入りできるので、東山から差す朝日を拝み、白砂の上を歩けば、爽やかな気を全身に浴びて新しい気持ちになる。

昼なら「ろおじ」と呼ばれる細い路地の散策がお勧め。車や人通りの多い通りからちょっと外れただけで、今までの喧噪はどこへやら。ゴミひとつない路地の奥には、長屋の一角で小さな本屋さんや料理店がひっそりと迎えてくれる。水甕には金魚が泳いでいたりして、暮らす人の息づかいが聞こえてくるよう。都市にぽっかり空いた異次元空間を体験するという意味では、パリのパッサージュと同じだ。

食事ならカウンターのある店を探そう。おすすめのメニューを糸口に、食材の話、旬の話、京言葉から町ネタまで。いい気持ちでお勘定したら、もう一度訪ねよう。ガイドブックの店を片っ端から回るよりも、京都旅行のたびに行きたくなる、行きつけの店を一軒でも持てたら、京都はもっと身近になる。

 駆け足で名所を巡るのではなく、寄り道したり迷ったり、地元の人と話を交わせる旅をしよう。

 

京のろおじは暮らしの場

北大路通りにある料理店、伊セ藤

そんな旅の流儀を「暮らす旅」名付けました。

 私たちは、長年にわたり雑誌や書籍で仕事をしてきた編集者、ライター、カメラマン、デザイナーの集まりです。暮らす旅の楽しさを紹介したくて、グループの名を「暮らす旅舎」と名付けました。そんな私たちを、京都に暮らす、伝統のものづくりに関わる老舗のご主人や料理人、家元、アーティストたちが応援してくれています。

 暮らす旅舎として初めて発刊したのが『京のろおじ』です。第二弾の『水の都 京都』とともに、俳優の井浦 新さんが一緒に旅をしてくれました。

『京都 食手帖』と『京都 手仕事帖』は、私たちが京都に通うなかで出会ったり、教えていただいた人たち、お店をご紹介しています。

 これからも、京都の古くて新しい魅力を発掘していきたいと思っています。

 

三井寺でロケ地巡り

2015.04.01 |

京都は、太秦撮影所もあり、時代劇の映画撮影のメッカです。

5月16日に公開される映画「駆込み女と駆出し男」では、大津の三井寺もロケ地になっているそうです。

三井寺の境内は、広大で起伏に富み、手入れを怠らない古い石垣や石段は、かっこうの撮影場所なのですね。

「鬼平犯科帳」や「武士の献立」「利休にたずねよ」、あらま、夢中になって見ていたテレビドラマ「銀二貫」もここで撮影されていたようです。

三井寺のホームページには、さまざまな映画やドラマに使われたロケ地マップもあるので、散策の楽しみにしてみてください。

そして、大津の駅を降りると、琵琶湖疎水の入り口が見られます。

今ごろ、桜、満開でしょうね。

↓三井寺キャラクター、ベンベンに会えるか?


葵の葉っぱが芽吹きました。

2015.03.26 |

去年の5月、上賀茂神社の清らかな流れをたどりながら太田神社のかきつばたを見に行った折り、テントの下で売っていた葵の苗。「うーん、葵なんて、東京のほうじゃめったに売ってないし」と、ひとつだけ買って持ち帰り、我が家の日当たりの悪〜い庭に植えてみたのでした。

「きょうは葵ちゃん、元気かな〜」と毎日顔を見るのを楽しみにしていたのに、秋がきて日に日に弱り、ついには消えてしまい、たいそうがっかりしていたのでした。

でも、消えたんじゃなくて、眠っていたんですね。

桜の開花がちらちらと聞こえてきたきのう、久しぶりに庭を点検していたら、なんと、ひよひよとした葉っぱを発見! その下に、控えめな花が見えるでしょうか?

かつて、上賀茂神社の広い境内には、葵が一面に敷き詰めたように生えていたそうです。葵祭りには、人も馬も、その葵を飾って行列します。青々とした葵をつけた様は、いかにも命の讃歌です。

近年では、その葵も少なくなり、葵をみんなで増やそうという「葵プロジェクト」も活動中。

我が家の葵も、虫食いが気になりますが、大切に育てます。

↑去年の御影祭(葵祭りの前に行われます)にて。

水辺と桜の旅へ

2015.03.21 | コラム

 京都は鴨川、桂川、宇治川と大きな川に囲まれ、さらに市内には白川や高瀬川、琵琶湖疎水が流れ、郊外では貴船、大原、高雄など水辺が美しい景観をつくり出しています。

 また表に見えるだけでなく京都の地下深くには豊かな水脈があり、その水量は琵琶湖に匹敵すると言われ、町のあちこちから名水が湧き出ています。

 

白川の桜


醍醐寺や三井寺、また下鴨神社など多くの寺社に、水にまつわる伝説があります。また日本三大祭のひとつ祇園祭は、鴨川の水で神輿洗が行われます。この祭の起源は、京都の発祥の地とも言われる神泉苑(御池通りの名の由来)での御霊会でした。このように京都の文化は水に支えられ発展してきました。

醍醐寺の水の流れ


 もちろん京料理を支えるだしをはじめ、酒、味噌、醤油、湯葉、豆腐、京野菜などの食材や、全国一という珈琲消費量も「京都の水」なしには語れません。


麩嘉の麩饅頭

 さらには友禅染め、茶の湯なども清冽な水があったからこそ生まれ、水の流れからさまざまな意匠も生まれました。

 水と水辺を巡る旅を通じて、京都の魅力を紹介したのが、暮らす旅舎の本「京のめぐりあい 水の都 京都」です。

 

 私たちは鴨川や琵琶湖疏水、そして北白川沿いの桜を追って撮影取材を始めました。あれから一年。もうまもなく同じ季節がやってきます。

 京都の水辺と桜の旅にぜひおでかけください。

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