11月16日夜ふけのお茶

Posted by K.
11月16日 Posted by K.

京都で、さまざまなお茶に出会いました。

その中で印象的だったお茶を、いくつかご紹介します。

陶々舎の若者たちは大変に忙しい。昼間はがっつりお仕事。土日はあちこちでお茶を点てています。稽古だって、ある。なので、取材の打ち合わせは平日の夜8時、陶々舎で、ということになりました。

半袖が気持ち良い、初夏の夜でした。

出迎えてくれたのは、天江大陸さん。ほどなく、仕事から帰った中山福太朗さん。話を始めながら、大陸さんが、ささっと食事の用意をしてくれました。

アブラゲをあぶったのに刻んだ九条ねぎをのっけたもの、だったかな。小さなエビといっしょに甘辛く煮たお豆(これは、近くの大宮商店街で買ったものだそう)。それに味噌汁と、土鍋で炊いたツヤツヤのご飯! あれもこれも揃った豪華なご飯、というわけではありませんが、こんな心尽くしの食事はじんわり、おなかに沁み渡るもの。しかも、それを若い男子がつくってくれるなんて!

感動していると、「打ち合わせも済んだし、せっかくだから、一服差し上げましょう」とおのこ二人。またしてもささっと(決してバタバタではなく)食事の膳を片付け、福太朗さんと私たちは、一旦玄関から外へ出て、庭の木戸の手前に置いてある縁台に。ご近所もシーンと静まり返っています。

夜風も温んで「ようやくいい季節になりましたね〜」なんて言いながら夜空を見上げる。

導かれるままに、蹲で手を清め、縁側で履物を脱いで先ほどの部屋へ。

もう釜にはお湯が、シュンシュンと音を立てていました。

思いもかけない、夜ふけのお茶でした。

お茶会は、何日も前から心の準備をして出かけるもの。でも、こんな「ふいのお茶会」もありなんですね。

仕事、打ち合わせ、の慌ただしい1日の終わりに、するりと入り込んだ澄みわたる時間。

昔の人も、思いつきでふいのお茶の時間を楽しんだのかもしれません。

「今宵は月も満ちておりますゆえ、拙宅にて一服いかがかな?」

なんて。

 

ちなみに、土鍋ご飯の感動覚めやらぬ私は、帰りがけ、「ご飯がとても美味しかったです」と言ったら、「そうですねえ、お茶やると、人間力がつくかもしれないですねえ」と大陸さん。

大陸さんが、かつて茶髪でヒップホップ踊ってたイマドキの若者だったということは、『京都はお茶でできている』の本の中でもちらっとご紹介しています。そんな若者が、ささっと(しつこいようですが、バタバタではなく)、食事の支度をする。

「お茶→人間力」の関係に、目から分厚いウロコが落ちました。

心に残ったお茶会シリーズ、折りに触れ、ご紹介していきます。