12月26日師走の京都 Ⅱ

Posted by S.
12月26日 Posted by S.

 新型コロナに翻弄され続けたこの1年。ワクチン接種が始まったとはいえ、収束は未だ見えません。
 前回のコラムに記した通り、ピークの紅葉シーズンを避けて訪れた師走の京都。2日目は、お茶の稽古を終えて、午後はartKYOTO2020のイベントで京都国立博物館へ。アートフェアが開催された明治古都館に久しぶりに入場できました。知り合いのギャラリーも参加しており、売り上げは好調だとか。コロナ渦にも関わらず、株価は上がる。そんな世情が表れかもしれません。外に出たら、夕焼けのなか京都タワーが見えました。
 翌日は朝一番の東福寺へ。普段なら大人気の通天橋もゆったりでした。早めのランチは久々の二条駅近くの大鵬へ。人気の中国料理店は11時半ですでに満員。40分待って、熊も、鹿も、猪もあるメニューを睨んで注文したランチを食べ、お土産に特製の柚子胡椒を買いました。こういう店は大勢で色々食べたいと改めて思いつつ、二条城へ。artKYOTOのセットイベントで、二条城の襖絵を特別解説付きで見学しました。

右 - アートフェアが開催された京都国立博物館の明治古都館
左 - 朝イチの東福寺

 その後、年賀状の写真を撮るために、菅原道眞が祀られている北野天満宮へ。境内には神の使いとされる牛の像が奉納されています。現在13体(拝殿の欄間に刻まれた立ち牛を含めると14体)あるそうですが、どれも横たわった牛、臥牛の像で、自分の体の悪い部分を撫でると諸病平癒、頭を撫でると学業成就が叶えられます。なぜ臥牛かといえば、九州太宰府で亡くなった道眞の遺言に由来します。
「私の亡骸は牛の車にのせ、人に引かせずに、牛の行くところに止めよ」との言葉通りにすると、突然牛が座り込んで動きません。そこで道眞はその場に葬られたそうですが、そこに建てられたのが安楽寺。のちの太宰府天満宮の始まりです。
 でっち上げられた謀反の罪により北九州に左遷され、失意の中なくなった菅原道眞公。その死後、都に頻発した落雷や、関係者たちの突然の死を道眞の祟りとして恐れ、鎮めるために天神として、各地の天満宮に祀られたのです。
  旅の仕上げに、紅葉の見納めにと立ち寄ったのは、天満宮の御土居。秀吉が築いた土塁ですが、ここ天満宮の土塁が原型に最も近いとか。土塁の西側を流れる天神川は、紙屋川とも呼ばれ、平安時代には紙すきが行われていたそうです。御土居の遊歩道を巡ると、晩秋の日差しに紅葉が鮮やかに照り映え、その様子は動画で撮ることができました。出口にある茶屋で、上七軒の老松のお菓子とほうじ茶をいただいてから、拝殿に向かいました。

北野天満宮の臥牛

 ところで太宰府や、東京亀戸、大阪などの天満宮では、天神様ゆかりの鳥とされる鷽(うそ)の木彫を取替える鷽替え神事が年明けにあります。「去年の悪しき(凶)は嘘(鷽・うそ)となり、吉(よき)に取り(鳥・とり)替えん」とするもので、コロナ禍に翻弄された1年を、良き年に変えたい願いたいところですが、京都の北野天満宮にはなぜか鷽替え神事はありません。
 とはいえ、丑年生まれで、亡くなったのも丑の月丑の日という道眞公に、良き年を託して年賀状を作ることにしたのですが、コロナ退散を願って、たっぷり臥牛を撫でてきました。