11月20日猪・鹿・紅葉
Posted by K.南禅寺の北にある永観堂。ご本尊は、みかえり阿弥陀像です。
11月は炉開き。お茶室もいよいよ冬仕度です。お茶のお稽古も、まっさらなところからやり直しです。
和菓子屋さんには亥子(いのこ)餅が並びますが、平安時代に中国から伝わった玄猪(げんちょ)餅は、大豆や小豆、栗、柿など、7種の粉(?)でつくったようです。現代の亥子餅は、うりぼうの形を模したもの……と思っていたら、京都在住カメラマンI氏のSNSに、銀杏、栗、干し柿などが入っているという二条駿河屋さんの亥子餅が紹介されていました。これはぜひいただいてみなくては!と立ち寄ったのですが、残念ながら夕方4時にはすでに売り切れでした。来年のお楽しみにします。
左 - 和気清麻呂をお祀りする護王神社。
右 - 足を痛めた清麻呂を猪が助けたので、猪が守り神。
御所の西にある護王神社は、猪が守り神。狛犬さんではなく、猪さんがいらっしゃいます。宮中で行われていたお亥猪の儀式に習った亥子祭は、今では11月1日に行われるそうです。もともとは、亥の月(旧暦10月)、亥の日、亥の刻に餅を食べると病にかからないと言われていたとか。亥の刻は午後10時ごろ。平安装束に身を包んで護王神社でつくった亥子餅を宮中に献上する儀式だそうです。お手伝いをしたことがあるという、もと地元の方の証言がなかったら、このような行事は知らなかったところです。亥子祭も終えた護王神社は、足腰のご利益を求める方や亥年生まれの方(おそらく)が訪れていました。
吉田市蔵さんのお茶室で。しつらえには、紅葉と鹿が織り込まれています。
さて、お茶室はすっかり晩秋です。吉田市蔵さんのお稽古に、図々しくもお邪魔させていただきましたが、掛け軸は堯空(正親町金明)の「晩秋鹿」。「嵐吹く 山したもみち 踏わけて うき秋をくる 鹿の聲かな」と読むそうです。正親町金明は江戸後期のお公家さん。光格天皇が、実父の典仁親王に尊号を贈ろうとしたところ、前例がないと時の老中松平定信に拒絶され、正親町金明も責を負わされ、免職になった時の歌(ざっくり御免)。吉田さんは、お若い頃から古典籍のお店で短冊をもとめ、はじめはお店のご主人に読み方を教えていただき、そのうちご自分で読み方を習得し、歴史的な背景も調べるようになったとか。吉田さんのお茶室では、軸の読み方からお道具の組み合わせなど、初心者にもていねいに教えてくださるのが大変楽しいのです。
香合は鹿。蓋を開けるとまるで鹿の〇〇のようなお香がコロコロ。お茶目です。
鹿は秋の季語。パートナーを求めて泣く鹿の声がもの悲しく響くこともあり、秋、飽く、寂しい……などのイメージが広がります。お軸の「うき秋」も、「憂き秋」と読めます。もちろん、秋、赤、紅葉、竜田川……のイメージもあるので、色づく渓谷の水辺と鹿も、秋を象徴するモチーフです。吉田さんの掛け軸の表具にも、水の文様が使われていました。水際で湿度のある方が、葉もチリチリにならず、美しく紅葉すると聞いたことがありますが、はたして、平安時代からの紅葉の名所といわれている永観堂でも、池の周りはひときわ赤が鮮やかでした。
すはま屋さんの洲濱に、ようやく出会えました。
護王神社の帰り、丸太町通りを西に歩いていると、通りかかったのが「すはま屋」さんです。洲濱は、煎った大豆粉と砂糖、水飴を練り上げたお菓子です。京都でおつくりになっている店がついに閉じるというとき、若い女性がそのレシピを引き継いで、同じ場所に店を開いたのだと、吉田さんがうれしそうに言ってらしたので、実は一度、お取り寄せできないものかと電話をしたことがありました。発送はできないとのことでしたので、京都に行った時にお店を見つけよう、と思っていたところでした。
念願の洲濱を、私はお抹茶といただきましたが、連れはコーヒーと。コーヒーとも合うんです。豆同士だからでしょうか。シンプルな材料なのに、とても洗練されていて、長い時間をかけて完成されたお菓子なのだと感じました。この形は、お祝いの飾り物をのせるすはま台の形でもあり、おめでたい気持ちを込めたいときにもぴったりです。洲濱の購入は予約が必要で、店頭販売している豆の形をしたものは、すでに売り切れでした。でもいいんだ。ていねいにつくられているものは、いただく側も、大切に大切に。
訪れた場所
護王神社 京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
永観堂禅林寺 京都市左京区永観堂町48
すはま屋 京都市中京区丸太町通烏丸西入常真横町193 日曜・祝日定休