2月14日美しい「ふだん着」
Posted by K.「いまみたいに、お茶を暮しの外に放っぽり出して、よそゆき仕立てにしてしまったのでは、お茶がかわいそう、第一、暮している僕らがみじめすぎる。お茶を暮しのなかに引もどす、そのためには、ホームスパンのジャンパアを着た利休さんが要るのではないか。歌俳句の、正岡子規みたいな人が……。」
60年前近く、雑誌『暮しの手帖』の編集長だった花森安治さんは「無茶人のおせっかい」というエッセイの中で記しています。
「ボクひそかに、利休さんをわが道の大先達と心の奥底に据えているのだが、(中略)わが道の大先達と、ぞっこん惚れこんだというのも、つまりは利休というひと、よほどこの暮しの中の、ふだん着とよそ行き、ウソつきぐらしがきらいのように見えるからのこと、万事ふだん着でゆこうという、そのふだん着を美しいものにしようという、その気持がうれしいからにほかならない」
暮らしの外に追い出されてしまったお茶(茶の湯、茶道)を自分の暮らしに取り戻す。『京都はお茶でできている
』の取材を通して、陶々舎の活動に見えたものは、そのひとつのかたちでした。大徳寺そばの古い町家に暮らす三人の若者は、そこを拠点にさまざまな茶会を実践しています。
三人のお茶の師匠は外国人。町家に暮らす先生たちの美しい暮らしは、彼らの活動のひとつのきっかけだったようです。またそこから、1日に1件以上壊されていく京都の町家を、百年後に残す大きな夢も育んでいます。
鴨川の岸辺でお茶を楽しみ、蛍光灯の照明を外した和室ではろうそくの灯りで茶会を開きます。月の光の下、マンドリンの音が流れる中、ベランダの点前座でお茶を点てることも。
よそゆきではない美しい暮らしを、お茶を通して実践する彼らの姿を見たら花森さんはどう思うでしょうか。
京都では、お茶の変革の波が、彼らが投じた一石を中心に広がりをみせています。茶室という枠にとどまらない陶々舎のお茶は、地域のコミュニケーションの新しい形でもあります。