2月7日暮らす旅舎✖️陶々舎 茶話会 Part2

Posted by S.
2月7日 Posted by S.

——3人のお茶の先生はみな外国人です。キキさんと大陸さんがデンマークの方、福太朗さんがカナダ人のジャックさん。ジャックさんは50歳過ぎて日本にお茶のある生活をするために来た方です。聖徳庵と名付けた家に暮らし、お茶のお稽古をされています。

福太朗 サンタクロースとアインシュタインを足して2で割ったような方で。

稽古の中で話されるのは、作法の右や左よりも、ひたすら問答が繰り返される。掛け軸の意味をどう思うかひとりずつ言えとか、それはさっき言ったからだめとか、それで半分くらい終わったりするんですけど、いろんなお茶のアプローチがあって、面白いなと思いました。それぞれが先生からいろんな問いをもらっています。私は、WHO ARE YOU? と、ことあるごとに問われる。物を買ったり、お茶したり、お酒を飲んだりしながら、探っているような感じです。

いい答えのためにはいい問いが必要と先生がおっしゃいます。いま、ちゃんとお茶をするための問いは何なんだろう。私の中ではとっても大事な課題で、たくさんのものを先生からもらっています。

——大陸さんたちの先生は、町家に暮らしているそうですが。

大陸 ビスゴー先生は家の近所に住んでいて、僕が大学1年生のときに初めて会いました。180以上身長があって、白い髭をはやし、仙人みたいに髪を結んで、家に行くとガネーシャや、インドネシアのバティックとかがある。この人は何者だろうと思ったら、奥に茶室がある。お稽古を始めたら、水が冷たいんです。茶室にはお湯も引いてないし、20リットルのポリタンク2つで水を汲みに行く。ほんとうに寒くて手が動かなくなる。

なんでこんな寒くて不便なところに住んでいるのかと思いました。でも先生の顔を見ると幸せそうな、充実した表情されている。不自由な中で豊かさを感じるにはどうしたらいいのか。どうしても知りたかったんです。とてもきれいにされていて、自分で庭を造り、自分で家を直して清潔で、道具は多いですが、つねに整理整頓。どこに何があるかわかる。生きる術というか、豊かに暮らす術をこの人は知っているなと思いました。キキはどういう印象?

キキ 同志社のとき、お茶の先生を探していたら、京都には4ヵ月しかいないのでみんな断わられました。でもビスゴー先生の知り合いに紹介してもらったら、いいですよと。1週間でも、1日でもいいですと。お茶が好きだったら、続けて行くと思うから、どうぞ来てくださいと。でも他の先生と比べたら、すごく厳しかった。だから1週間でも2週間でもちゃんと稽古できると思った。

先生の稽古は、学ぶことが大切、趣味ではないですよという気持ちがあって、それは大事だと思いました。まわりにも面白い人が多くて、お茶だけではなく、花とか書も学んでいる。点前だけではないということも理解しました。先生のところで、今まで本で読んでいる茶の湯を、初めて見たという感じでした。ほかのところでは本に出てるのと実際が全然違う。

——大陸さんは高校のころはヒップホップ踊ってたとか。

キキ 知らんかった。

大陸 高校のころは茶髪でした。ヒップホップが人気で。ブレイクダンスが好きで、当時かっこいいものとか。だぼだぼの服着て、ラップをカラオケで歌ったり。

——お茶をやって一番変わったことは人間力がついたこととか。

大陸 基本的になんでもやらないとだめなんです。それこそ火をおこすとか、炭を切るとか。

キキ 灰を洗うとか。

大陸 昆布だしをとるとか。いままでやった事がない事を、やらないといけない。家が寒いので。火をおこさないとお湯が沸かない。お湯が沸かないとお茶が点てられない。なので、幅が広がりましたね。何でも屋さんみたいな。

——私はお茶を習っていたのですが、大陸さんが人間力がついたと聞いて、目から鱗が落ちた思いがしました。お点前を覚えるところで止まっていたので。お点前は人間力をつけるためにあると知りました。

陶々舎に打ち合わせにいくと、夜の8時過ぎなんですが、お鍋をつくってくれて。若い男の子にご飯をつくってもらったことはなかったので、目から鱗。どうしてこんなに美味しいご飯がつくれるのか。そうしたら、「月がきれいだから庭にでてください。お茶をしましょう」と。こんなお茶があってもいいと知り、新鮮でした。お茶ってこういうものだったんだと。実は自分のレベルでも楽しめるものと初めて知りました。

 

福太朗 話をして欲しいと言われて今日は来ましたが、本にするにはすごい人にしないとだめなんで、でも実際の私たちはまったくすごくなくて、条件がラッキーだっただけで、誰でもできるのだと思います。

伝統文化では、やっちゃいけないというしばりがあって、お茶事なんてまだまだとか、手伝いすら行っちゃだめとか。でもできるところで差し出して行かないと、明日死ぬかもしれないし、試してみないとわかんないじゃないですか。この道歩んでいて、70歳になったからお茶事していいとか、そんなのは楽しくない。お茶事すると、失敗するし手順も間違える。でも、しちゃいけないかといったら、そんなことはないと思います。

差し出してくれた人に受け取ってもらえて、ありがとうございますとなればいい。誰にも止めることはできないし、しがらみはなくていいと思います。でも、なんでも自由でいいかというと違って、ぴたっとはまる形があるのは確かですが、100点とらなきゃいけないことはないと思うんです。

その喜びは、スキー場で今カップラーメン食べると美味しいという状況と一緒。カップラーメンじゃなくて、すごくいいラーメンをこれからつくるとなったら、美味しくないです。今しかない、ぴちぴちの状態がある。ネタは新鮮なうちにぱっと食べたら美味しいんです。花咲いたり、月が出たり、気分が盛り上がったらお茶しようかというのがいい。家にいるからしやすかったということもありますが。

——月釜ではロウソクの炎だけ。「茶と湯」は船岡温泉でお風呂に入ってからお茶をしたり。いろんなお茶をしていますね。

大陸 「茶と湯」は茶の湯にかけたギャグですが、もともと淋汗茶の湯という室町時代に流行ったお茶がありました。蒸し風呂なのか、ひと風呂浴びて、宴会の一種で、風呂上がりに料理とお酒とお茶がある。それは面白そうと思いました。お客さんも緊張せず、一杯どうですかって。お菓子は温泉饅頭をお菓子屋さんに作ってもらい、これも美味しい。お客さんも亭主もほぐれて、いい湯だなと。相性がよかったですね。京都はとくに銭湯が多いので、みなさんおごりますというかたちで連れて行って。誰でもできる。お茶会の提案でもあります。

福太朗 これはいいです。同じ湯につかり、同じ湯を飲む。すごく楽しいです。そうじゃないと面白くない。鴨茶も「茶と湯」も、今生きている自分が楽しい、というお茶をするのが大事です。

キキ 私は本に出てるお茶しかやりたくなかった。でも茶と湯でお客さんと入るのはいいです。楽しかったです。

——でもお茶バーを始めましたね

キキ 最初は本で出ている茶事しかやりたくなかった。昔の人が考えて、よかったからそのパターンが残っている。「2月の暁の茶事」とか難しいけれど、昔の人は賢い。すごくよかった。そういう本に出ている事を全部やって、今からどうしよう、となって始めました。

出張で東京に行き、お洒落なカフェに大陸さんと行って、そこで碾茶(てんちゃ)とウォッカのカクテルが出て、「ワオ」となった。初めての感覚で、自分でやってみようと思いました。ヴィラ九条山のニュイブランシュのイベントで、友達にお茶やってくださいと頼まれて、面白い事をやりたくなった。お茶とお酒をまぜたものを研究しながら。

——抹茶をビールで点てたりとか。

キキ そう。薄茶とか濃茶をビールで点てました。ときどき美味しかったり、そうじゃなかったり。まだレシピはできていません。いつもの茶席みたいなところじゃなくて、今回はバーみたいにしましょうと、近所の友達を誘って、そのとき楽しかった。でも、お茶より大変、商売みたいになっちゃうから。お茶の方がいいかな。

——お酒とお茶をまぜるウーロン割りなどと違って、お茶をお酒で抽出する感じ。美味しくて悪酔いしませんね。

福太朗 お茶だからこうしなくちゃいけない、飲み物としての抹茶は優れた飲料なので、伝統文化とくっつくと、抹茶でこんなことしていいのと思われるけど、ここはちゃんと切り離していいと思う。飲み物としての抹茶。文化として付随する抹茶。そうするとお茶を楽にしてあげられるというか、こうするともっと楽しめるとか、可能性が広がると思う。抹茶にこんな事をしてとか、思わないで。もっとパキパキ考えていいと思う。

(次回 Part3に続く )